2013/04/17沈黙を聴く
携帯電話を使うようになってから
電話を掛けるよりメールで用事を済ませることが多くなった。
遥か昔の固定電話が主流だった頃
友人と取り留めもないことを語りながら長々としゃべり 「またね」 と切る。
すぐに
言い忘れたことがあった
とまた掛け直す。
どちらも別れがたく切る機会をやり過ごし
気がつけば受話器を持ったまま眠ってしまった
などという懐かしい思い出もある。
今は会話するよりメールで
要件をいかに短く誤解のないように伝えるかを訓練しているような日々に
あの頃が余計に懐かしく思える。
ところで
顔の見えない相手と会話をする時
つい恐れてしまうのが
「沈黙」だ。
相手の顔が見えていない電話での会話は
語られている内容だけでなく
言葉で表わされていない部分にも耳を澄ませ
相手の思いを聞き取ることができるかどうか
気持ちを集中させることがしばしばある。
その言葉の背後にある、心、感情、思い
さらには何故こういうことを語っているのか
その理由にも耳を傾けると
それはとりもなおさず 「沈黙を聴く」
ということになる。
人は大きな悲しみや苦しみ、悩みを抱えているとき
それを言葉で表わすことはとてもむずかしい。
それをあえて語ってみても
大概は言葉の表現にならず
悲しみや苦しみが重ければ重いほど真逆の表現となって
こちらを安心させてしまうこともある。
顔が見えてたら
くちゃくちゃに泣いているかもしれないのに。。。
沈黙を恐れずに声なき声を聴ける
そんな人でありたいと思う。