2018/10/14社長交代のご報告
お客様、お取引先様へ
この度9月30日付を持ちまして代表取締役社長を退任し、
10月1日より代表取締役会長に就任いたしました。
去る29日に社員と共に宮崎県高原町の狭野神社にて正式参拝の後、
創業者と2代目のお墓へ報告して参りました。
弊社は今年、創業60周年の年でもありますので、
このような年を迎えることができましたのもひとかたならぬ皆様のご支援のお陰であることに
深く感謝申し上げます。
これからも皆様のご期待に添うよう精進してまいりますので
今後とも末永くご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
社員の皆様へ
一人一人は役割があってこの世に生まれています。
会社の中では融和し合い、それぞれの良いところを活かし合いながら
皆様一人一人が、この職場で自身の人間性を磨き続けていけるような環境を作っていただき、
共に発展させていきたいと思います。
地球上で最も近い縁のある集団として、経営理念を共有し、
共に情熱と誇りを持って、4代目社長のリーダーシップに追従し、
皆で支え共に頑張っていきましょう。
新社長へ
会社の理念を社員の皆さまと共有し、人を大切にし、
変えて良いものと変えてはならないものこれをしっかり把握し
「木を見て森を見ず」ということにならないよう、
もともとお持ちの「素直で謙虚で感謝と反省」この4つの心を持ち続けて、
皆を引っ張っていただくことを願っています。
大変な時期での交代となりますが、これからも皆で支えていきますので、
やり甲斐を持って経営を進めてください。
創業60周年
歴代社長の軌跡と業績
◯創業者
*本場京都で竹垣づくりの修行をしたのちに「竹垣製造販売」を開始。
*「足踏み健康竹」を製造。
昭和の製造品という本に「量産化の全国第一号」と掲載。
*天皇陛下が霧島国立公園植樹祭に来られることを記念して作られた
「宮崎の名産」に袖垣が掲載。(昭和54年)
「わが町名産品」(昭和57年)
「人気再び竹垣、袖垣」(昭和63年)
他、新聞やメデイアに取り上げられる。
*「竹すだれ」アメリカへの輸出を開始。
*「農業用支柱」の女竹を北海道へ出荷。後に中国から輸入を開始。
* 海岸の「砂防用竹スダレ」製造。
* 社長退任後、神社のお守りを考案。「水琴窟」の特許を目指す。
◯2代目社長
*「造園資材総合販売店」を宮崎市にオープン。5年後に鹿児島市にオープン。
*「宮崎神宮植木市」に約5年間出店。
* 宮崎の店舗の2階に、茶道、華道の竹製品展示ギャラリー開始。
* 天然竹だけでは経営が先すぼまりになると考え、
* 塩ビ竹垣製を開始したタカショーに共鳴し、宮崎県・鹿児島県の代理店になる。
* 各営業所が手狭になり、より広い土地へ宮崎が1回、鹿児島が2回、
本店1回の移転し現在に至る。
*「沖縄サミット」外相会合会場である宮崎シーガイアコンベンションセンターで
各国外相控え室の袖垣を制作。
* 中国をはじめ、ドイツ、イギリス、など「石材の海外輸入」を開始。
* バブルが弾けた頃、日本庭園から洋風庭園に舵取りを変え、
受身販売からガーデニング情報を発信する積極販売を展開。
* 公共工事に関わる事業進出のため、
パーライト製造メーカー「東邦レオの代理店」となる。
これをキッカケに環境緑化の担い手となり一軒の庭のみならず公共の庭に貢献。
◯3代目社長
まずは未来へバトンを渡せるように、又、社員の皆様と共に生活の安定のために、
創業者が築いた信用という基盤の元、顧客、取引先、社員の皆様に信頼される企業を目指すことに重点を起き、小さいながらも銀行に頼ることのない、社員が安心して働ける企業を目指す。
先代からの心配の種であった、本店と鹿児島店の区画整理問題も無事に乗り越えることが出来たことは、
まさに「天の時、地の利、人の和」であることに感謝。
そして念願叶い子供に事業を承継に至る。
◯4代目新社長
かつての時代とは大きく変化している現在、
物が溢れ、人口が減少し、少子高齢化、情報の氾濫など、大変厳しい環境からのスタートの中だが、
創業から社員とともに築いてきた信頼を宝にして、新しいことに挑戦。
時代に合わせたやり方での環境整備、機械化による経費節減や事務の効率化。
SNSなどで発信も進めている。
新社長へ送る「言葉」
「人と人との伝達の基本は言葉である。
選び抜いていなければ心の中の想いは伝わらない 。」
「最後まで生き残って栄えるものは、強いものでも、大きいものでもない。
まして、頭の良いものでもない。
時を超えて栄える種は、環境に適応して自らを変革できるものだ。
ダーウイン」
株式会社鮫島産業
代表取締役会長 鮫島 恵
株式会社鮫島産業
代表取締役会長 鮫島 恵