植木屋 カクタクダ (種樹郭橐駝傅):庭・ガーデニング・植木の造園業者紹介サイト お庭の匠 

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さめこめ!鮫島産業女社長のブログ

2011/04/27植木屋 カクタクダ (種樹郭橐駝傅)

植木屋カクタクダ という人物の話を知った。

 

1200年も前に

植木屋の技術は現在のものと変わらぬばかりでなく

その精神も受け継がれている

ことに驚かされた。

 

話はこうだ。 

 

「 カクタクダは長安の西で植木屋を営んでいた。

長安の金持ちや果物商人等で彼を珍重せぬものはなかった。

というのは、彼の種(う)える木は、移植してもつかぬということはない。

かつ非常に茂って、早く、またたくさん実るからである。

そこで他の植木屋等が見習って種々やってみるが、どうも及ばない。

よってある人が、どうしてそういう具合にゆくものかと聞いてみたところが、彼は答えた。

 

「いや、私が木を根づかせ、茂らすわけではない。

私はただ木の天に順(そ)ってその性を発揮するだけだ。」

(木の持つ天から与えられた役割に従って、その生まれ持った生きる働きを導く。)

 

一体植木の性というものは

その根本は伸びやかに

その培うところは平らかに

その土は故く(ふるく)

その築(苗床づくり)は密でありたいもので、

そうしておきさえすれば、後は動かすことも、気遣うことも要らぬ。

去ってまたと顧みぬがいい。

 

蒔く時は子のように

置けば棄てたようにさえすれば、その天は全く、その性も得られる。

故に私はその成長を害せぬのみで、よくこれを大きく茂らすのではない。

その実るのを抑耗(抑えたて減らすこと)せぬだけで、早く、たくさん実らすわけでない。

 

他の同業者はそうではないのである。

根は挙まり(かがまり)

土は易り(かわり)

これを培うにも過不及がある。

そうでなくても可愛がり過ぎたり

心配し過ぎたり

旦に(あしたに)視て暮に撫で

去るかと思えばまた帰り顧み

甚だしい者になると、その膚に爪を入れて生枯を験(ため)したり

根元を動かして疎密を視たりするものであるから、木の性は日に離れるのである。

愛するというが、実は害(そこ)なっているのであり

心配すると言うが、実はいじめているのである。

 

だから私に及ばぬのであって、私がまた何をよくしようか。」

 

彼には樹に対して仁がある。

彼はその職業を通じて仁をなしている。 (安岡正篤 東洋倫理概論)

 (仁 : いたわりのある心)

 

 

 

先日、東京のある異業種会で名刺交換をした。

数名の方から

「造園屋さんはいい人ばかりでしょう?」

と聞かれた。

 

「はい、その通り!」

と答えたのは言うまでもない。

 

 

 

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