2012/06/09絶対に謝らない人々
10日間に及ぶイギリスでの体験は
とても素晴らしいものであった。
なんといっても
時期が良かった。
夜9時過ぎても外は明るく
しかも滞在中、晴天続きで
時間を有効に使えたことが
何倍もの楽しみを持つことが出来た。
全ては順調で
何事も問題はなかったが
国民性の違いをまざまざと見せつけられた出来事があった。
ロンドン在住の友人と
好きなものを自分でお盆に入れてレジで支払いをする形式の
レストランで食事をした時のことだ。
私は
店頭に並べられているサンドイッチとジュースを手に取り
インド系の女性がいるレジでお金を支払った。
友人は
白人男性が作るコーナーでチキンを焼いてもらい
私とは別のレジでお金を支払ってから
こんもりとフライドポテトが添えられたチキンの皿を持って
私たちは同じテーブルの席についた。
食べ終わる頃
何気なくレシートを見てみると
サンドイッチとジュースしか頼んでいないのに
もう一品計算されていたことに気づき
友人に見せた。
例の如く友人は私のために
白黒つけにインド系女性のところへ走った。
「レジの打ち間違いです。すみませんすぐに訂正いたします。」と
すぐに解決される事と思いきや
意に反してその女性は、すごい剣幕で怒りだしているではないか
チキンを焼いた白人男性と別のレジの白人女性まで混じってきて4人で何やらもめ始めている。
そのうち
そのインド系女性が友人に
「このレシートの本人を呼べ」とまくしたてたので
テーブルからその様子を見ていた私は
すごすごとその輪に混じりに行った。
「客を呼びつけるんだぁ・・・信じられないぃ~」
とつぶやきながら。。。。
しかし
私の顔を見てもまだ彼女の怒りは治まらない。
互いが譲らない平行線の状態の中
ついに白人男性が友人に向かって
こうのたまわった。
「この分は、お前の皿にポテトを山ほど入れた分だ!」
あまりの屁理屈に
もう笑うしかない。
友人は財布の中から自分のレシートを探し出し
真剣に
「これはこれであれはあれだ!」
と、いつものオーバーリアクションで
「計算書が別々だ!」ということを力強く示し
ようやく
彼らはしぶしぶとレジからお金を出し
私に戻して一件落着となった。
その後は何事もなかったかのように
三々五々それぞれの仕事についていった。
「おいおい謝れよぉ~」
と小さい声で私はつぶやいた。 しかし日本語だったから大きい声でもよかった。
友人は席に着いてから一言
「この国の人間は絶対に謝らないからねぇ。」
と笑って言った。
私も笑った。
さてそこで
「絶対に謝る人々」の話題になった。
実は私はインド系の女性に次のセリフを用意していたのだ
「誰にだって間違いはありますよ。今度から気をつけてね。」
しかし
この国では意味がないことを知ることになったわけだ。
それでは
絶対に謝る人々日本人は
例えお客様が100%悪いとわかっていても
とりあえずは謝る。
その本意は何か?
という議論になった。
〇 とりあえず謝っておいた方が
その場の雰囲気が和やかになって物事がスムーズに運ぶ。
〇 自らの保身のためには謝った方が無難と考えている。
〇 相手の立場に自分を置き換えると、謝ってもらいたいと思うから。
それは相手を傷つけたくないと思う「思いやり」でもある。
〇 謝った後の相手の出方次第で
次の手を考えようとする。
〇 日頃から本音と建前を持つことが人間関係をよくすると考えているから
とっさに建前で謝ってしまう。
〇 そもそも
自分から謝る「美学」を持っている。
〇 常に自虐的思考傾向にある。
或いはマゾヒスト?
〇 とりあえず謝っておこうという 曖昧さが癖だ。
〇 日本語の数がどこの国よりも多いことも関係する。
尊敬語、謙譲語、丁寧語のように
相手の立場に合わせて使い分ける言葉がたくさんあるのは
自分と相手との今後の付き合い方にまで想像力を発揮していく意味において必須なのだろう。
「わびさび」や「あうんの呼吸」や「察する心」等
すべてはそこから生まれているのではないかと思う。
そう考えると日本人はかなり高度な言語力と思考力を持っているのではないかと
日本人として誇らしく感じてしまうのだが・・・。
「自己主張をしなければ生きていけない」
国の人々からみれば
曖昧を好む日本人は甘く見え、理解に苦しむのかもしれないが
私はそんな曖昧な日本人がとても好きだ。
いづれにせよ
海外へ行き日本に戻るたびに
日本に生まれてよかったと思うのは
こんなところにあるのだと
改めて感じた出来事だった。
インド系の女性の名誉のために言っておかねばならない。
今回の彼女の間違いは
単なるレジの打ち間違いであり
彼女がポケットにくすねたということでない。
あっっ・・・・・・・だからかぁ。。。。